アジトの内部は不思議なほど静かだった。
蛍光灯の明りに満たされた廊下は白く、山本には、真昼の校内のように思えた。
ついこの間まで、墓所の通路みたいだと思っていた場所だ。
──全部、終わった。
予言されていたように敵を退けた今、それでも何かが起きた訳ではなかったけれど、ひとまず、これで何もかも終わった、そういう安堵があった。
獄寺もそれは同じだったのだろう。今のうちに色々見ておこうぜ、などと言い出すが早いか、勝手に内部の探索に出かけてしまった。
──まあ、ツナは寝ちまったし…わかるけど。
残された山本は仕方なく、こうして獄寺の姿を探しまわっている。
置いて行かれて拗ねるような気持ちと、半分は心配で、鍵のかかっていない部屋を一つづつ確かめていた。
幾つめかの部屋で、明らかにかかっていたはずのロックが、山本の指紋で解除される。
──あれ、
このアジトの個室は本人の指紋か、8桁のセキュリティーキーでしか開かない。
──ってことはここ俺のへやか?
好奇心に駆られて覗き込めば、内部には、良く知った人の気配がある。
「獄寺…?」
呼びかけてしまってから、山本は違和感に気が付いた。
デスクに向かって背をかがめたその姿が、スーツを見にまとっている。
日本ではお目にかかれないような、複雑な色味を帯びた淡いグレーのスーツ。
「よお、久しぶりじゃねーか」
振り向いた獄寺は銜え煙草だ。それはべつに珍しい事じゃないのだけれど、揺れる銀色の髪の影から、硬質のピアスがのぞいている。
「獄寺…?」
この時代の山本のデスクなのだろう、かがめていた背を伸ばし、それに凭れた獄寺の背丈は、山本が知っている獄寺よりもずっと高かった。
「あ…と」
「おまえの獄寺隼人なら帰ったぜ」
──いや、俺のってわけじゃ
その言いかたに過剰に反応してしまうのは、後ろめたいところがあるからだ。言葉につまった山本の反応を見透かしたように、獄寺が眉をあげる。
──ああ、なんか
会話の流れから言って、この時代、10年後の獄寺なのだろうことはわかっていた。けれど獄寺なのに獄寺じゃない、一番弱い人間の10歳年上バージョンなんて、太刀打ちできる気がしなかった。
──っていうか、このひと、なんか面白がってないか
心中の言葉が聞こえたように、獄寺が小さく笑った。
「あの…ここ俺の部屋、ですよね」
「まあ、そうだな」
──まあの意味がわかんねーし
「なんで…」
中途半端な疑問の言葉に、それでも獄寺は察したようだった。
「暗証、聞いてるからな」
銜えていた煙草を唇から離す。火は付けていなかったのだろう、そのまま掌に握り込んだ。
同じ状況なら、10年たたない今でさえ、山本も獄寺に部屋のキーくらいは教えるだろう。それでも、
「でも、なんで」
もう一度そう聞いたのは、部屋にいた理由の方だった。
獄寺はすぐには答えなかった。どう答えたらいいのかと迷っているかのようで、無言のまま山本を見る。やがてその唇が人の悪い笑みをうかべた。
「おまえの…武のいねえうちに、家捜ししたいものがあったからな」
やっぱり、面白がっているのだと思う。
──でも、なんで?
「それ、俺が聞いちゃっていいんですか」
獄寺だと思っているのに敬語になるのは、どう見ても目の前の獄寺が子供ではないからだろう。
「別に、もう見つけたから、いいぜ。それに、」
今度こそ、獄寺は面白そうに笑った。
「おまえも見覚えがあるんじゃねーの」
そう言って、手の中のものを翳す。
24歳の山本の机の中にあったらしい、灰色がかった淡い緑色の封筒。けれども山本は確かにそれに見覚えがあった。
山本がめったに手にはしないようなその色を選んだのは、その時、渡す相手をイメージしてたせいだ。
「や、ちょっと待って」
自分が耳まで赤くなったのがわかった。書いたのは随分前だけれど、内容は全部覚えている。
「なんで?」
「なんでじゃなくて」
むしろ忘れられるような内容じゃなかった。
獄寺がわずかに目を細める。
「これは俺のものなんだろう」
不意をつかれ、絶句するしか無い。
──中味、読まれてんのか?
「俺に、くれるはずのものだったんだろう?武」
名前を呼ばれ、天地がひっくりかえるような、酩酊を覚える。
──そういえばさっきも
この獄寺は、自分を武、と呼んだのだ。言葉を失ったままの山本を獄寺が見つめる。さっき慌てて距離を詰めてしまったから、今、手を伸ばせば触れられるほどの位置にいた。
「中、読んだんですか」
しかたなく、そう呟くしかなかった。返事の代わりなのか獄寺が声も無く笑った。間近に見上げた翠の目に、俄には信じがたいような表情が浮かぶ。
甘く、けれどなにか苦いものを見るような、そんな表情。けれどもそれは、ずっと年下の弟に見せるような、不思議な優しさをはらんでいる。
とてもとても大切な思いが、その眼差しには含まれているようで、
「読んだぜ。今じゃねえけど」
隠し事をするつもりはないのだと、その声からも知れた。
「もともとこれは、俺が見つけたんだよ」
意味がわかるか、と問うているかのような沈黙。
「…どこで」
「おまえんちの机の引き出し」
それは確かに、山本がその手紙をしまいこんでいた場所だ。
「…それって」
今更非難をするつもりはなかったが、どう言う状況でそうなったのか。
「悪く思うなよ、偶然だったんだから」
今も10年たっても、どうやら獄寺の精神構造はたいして変っていないらしい。
油断はする方が悪いのだ、とたぶん獄寺の辞書には書いてある。
──俺、カッコ悪ィのな…
がっくりと肩を落とした山本に気が付いたのか
「おまえ、なんで俺がこれを欲しがってるのか、聞かねえの」
獄寺はすぐ間近から、山本を覗き込んだ。
「え、いや」
思いもしない問いかけだ。
「だって、なんで」
欲しがる理由なんてわかるわけもない。
──まさか弱みを握りたいとか、そんな
もう一度、笑いの形に歪む唇が、
「悪くねぇって思ったからだよ」
そんな言葉を紡いだ。
「え、」
今度こそ、山本は言葉も無い。だけどそれがどう言う意味なのか、言葉だけでならどうとだってとれる内容だ。
「この手紙を見つけた時、悪くねぇって思ったんだよ」
悪くねぇとか、まーまーやるなとか、それは獄寺のいつもの照れ隠しで、本当はほめられているのだと言う事は最近ようやくわかった。
あの手紙を書いていた時の自分の気持ちを、山本は今でもはっきりと覚えている。むしろその気持ちをずっと手放せずにいたから、出さない予定のその手紙さえ、ずっと捨てられずにいたのだ。
散々に迷って、言葉を探して、たった一言、「好きだ」としか書けなかった。
それ以上、どんな言葉を探しても、どんなに言葉を重ねても、嘘になるとしか思えなかった手紙だ。
出さない、手渡しすらしないはずのその自分の気持ちを、獄寺が受け入れてくれるのだとしたら、
「獄寺、それって」
山本の声の強さに、獄寺の眸が揺れた。
──ああ、やっぱり
このひとは獄寺なんだ。
思う間もなく、何かに叩かれたような衝撃に、山本は立ちすくんだ。
──10年バズーガー
悟ったが、抗う術などあろうはずもなく、すぐに視界が色を失った。
「山本」
あたりが白く飛び去る瞬間、獄寺の唇が動いた。
「獄寺隼人を頼むぜ」
いたずらな笑いは、山本がまだ14歳の獄寺の上には見た事も無い表情だ。
──そんな笑い方、
眉間に刻まれた皺はそのままだったけれど、山本を見る目はもっと柔らかい。
「それどう言う意味」
その叫びが聞こえたのか、獄寺が手をふった。まるで面白がっているように。
──獄寺、
その笑いは誰の為に?
「てい言うか、言い逃げなんてズリィ…」
気が付けばそこは見なれた空の下、おかしなバランスでその場所に飛ばされ、山本は地べたに座り込んだ。
「うわっ」
聞き慣れた、これは綱吉の叫び声だ。
「大丈夫、?山本」
綱吉と獄寺が見下ろしている。青い空と電柱と、眩しい秋の日差しと、気が抜けるほどにあたりまえの通学途中の風景だった。
「戻りやがったか」
その言葉がなかったら、全部夢だったんじゃないか、そう思えるほどだ。
「獄寺…」
返事の代わりに舌打ちしたくせに、獄寺は手を差し伸べてくれる。その手を掴んで引き上げられながら、山本は呆然と獄寺を見つめた。
──あんな、大人になるのか
激しい気性は内に秘められたまま、その分、複雑な色を宿すようになった眸とその笑い。まるでガラス瓶の中の炎のような、嵐の守護者の10年後の姿。
「何ぼさっとしてやがる」
怪訝そうに眉を寄せる、その表情だって山本には十分心惹かれるものなのだけれど、
──あきらめられるわけねーか
ずっと、獄寺には迷惑なだけの感情だろうと思い決めていた。それでも、思い切ることはできずにいた。
──だけど、
『これは俺のものなんだろう』
大人になった獄寺のその声が耳に残っている。
もしもその傍に立つことが赦されるとしたら、もしもその存在を手にする事ができるとしたら、
──『獄寺隼人をたのむぜ』
どうしたってあきらめきれるはずはない。
──もちろん
わずかに笑った山本に、今度こそ獄寺があからさまに不審そうな目を向ける。
「打ち所でも悪かったんじゃねーの」
「ん、そうな」
ジーンズの土を払い、山本は獄寺を見た。たぶん、残されている猶予はあと少しだけ。
「んだよ?」
──俺、絶対お前のそばにいくから
黙り込んだ山本に、獄寺が眉を引き上げる。なにごとか吐き捨てられるはずだった悪態は、山本の言葉に気勢を制された。
「ん?右腕の隣ってポジションも悪くねえかと思ってな」
「な!」
「山本!?」
獄寺の声に綱吉の声が重なった。
「テメそりゃどういう意味だ、この」
山本がたてた笑い声が、高い空に吸いこまれていった。
胸ぐらめがけてのばされた腕から身を躱し、山本はもう一度、今度はまちがいなく、幸福の予感に笑った。
──俺、勘だけは間違ったことないんだぜ?
とりあえず、あの手紙を鍵のかかる引き出しにでも入れておこう、そう思いながら。
inspiration from "Cherry" by Spitz.