「獄寺、似合うぜ」
そりゃよかったな、と帰って来た声はひどくそっけがない。
獄寺がこんな口を利くときは、照れ隠しなのだとわかっている。獄寺の後ろに立ち、山本は笑った。鏡の中を覗き込めば、やや硬直した獄寺と目が合った。
夏祭り、浴衣をあつらえてあるから帰ってこい、父親からそんな電話がかかって来るのは毎年のことだった。二つ返事でエアチケットをとり、帰郷を決め、今年はちょうど祭りの日にちが獄寺の誕生日に重なっていることに気がついた。
20歳の誕生日と八幡さまの祭りが重なるなんて幸先が良い。山本が言ったそんな台詞に、けれど獄寺は興味のなさそうな返事を返しただけだった。
酒も煙草も、その他色々も、20歳になるまでにはとっくに経験してしまっていたから、獄寺には成人するという感慨もなかったのかもしれない。考えてみれば、それは少し前の山本も同じだった。これから20歳になります、と言われて、そんなものかと思っただけだ。
「獄寺?」
鏡の前に立ったまま、相変わらず獄寺は緊張したような顔をしている。
「おう」
返事ばかりは帰って来たが、まるきり心がここに無い。切ったばかりの髪の先を摘んでみたり、鏡の中の自分の姿に、どうやら落ちついていないらしい。
確かに、鏡に映って並んだ姿は、山本も獄寺も、去年までとは随分違った。二人とも、背はまた伸びたし、獄寺は春から髪の形を変えている。
なにより今年は、浴衣の柄が違うのだ。
「ハデじゃねえのか、これ」
そういうことを気にするタチではないだろうに、珍しく獄寺はそんなことを言う。
獄寺が持ち上げた浴衣の袖は、白地に藍、ぼかした藍染めの上に地色を抜いて、流水紋が浮かんでいた。どういう趣向か、花を散らした地模様にはよく見ると髑髏が染め抜かれている。
派手か地味かと言われたら、間違いなく派手な浴衣だった。去年までの、子供らしい模様とは違っている。
──でもすげえ、似合ってる
「派手じゃねえよ」
獄寺には、という後半の台詞は口に出さずに、笑いかけると、それでも獄寺は眉を寄せた。
──まあ、俺のだって派手っちゃ派手だし
山本の為に用意されていたのは、一見ただの黒絣だったけれど、よく見れば細かな銀糸が織り込まれていた。燻し銀みたいな三尺の帯を締めて獄寺の脇に立つと、二人ともちょっとカタギには見えない風情になった。
山本はふと、父親が今の自分たちの稼業を知っているのかもしれない、と考える。
襟にかかる髪が気になるのか、獄寺は後ろ髪の先を持ち上げてみている。指を伸ばして柔らかい皮膚に触れると、獄寺は首をすくめ、ついでに本気で山本を睨みつけた。睨む仕草も堂に入っていたから、山本は声をださずに笑った。確かに二人とも、カタギとは言いがたい。
──だけど、親父が知ってても、知らなくても
それは聞かない、言わない約束なのだろう。山本は思う。自分だって、父親がどんな人生を歩んで来たのか、本当には知らないのだ。
それでも、親子は親子だ、そう山本は思っている。後ろめたいとは思わなかったけれど、口には出さない今の稼業を聞いても聞かなくても、きっとなにも変わりはしない。
自分も一生、聞かないだろう。
──人殺しの剣、
自分たちの剣に誇りを持つ父親が、戒めのように言う理由を。
「山本」
考え込んでいたのを気づかれたのかもしれない。不審そうな顔の獄寺と目があった。
「輪ゴム」
「え」
「髪くくるから、取って来てくれ」
簡潔な命令が嬉しくて、山本は笑った。
「はいは一つでいいんだよ」
と言う獄寺の声もどこか笑っていたような気がする。
階下に降りて輪ゴムを探し、思いたって、山本は別な物を手に取った。
「おまたせ」
獄寺の後ろ髪を手に取ると、持って来たもので結わえてやる。
「なんだこれ?」
自分の髪を結わえた細い紙ごよりに、獄寺は目を凝らした。普通のひもでは無いと言うことはすぐにわかったのかもしれない。
「水引、ちょうど赤いのがあったのな」
藍に赤はよく映える。それに、獄寺の炎の色だ。
「ミズヒキ?」
「そう、お祝い事とかに使うやつ」
獄寺はちょっと黙り込んだ。
「髪を結んだりしていいのかよ」
「髪を結んでもいいんだよ」
ふうん、と気のないような返事が返った。獄寺の場合はけれどそれが、気に入ったと言う意味だった。それでも、
「山本、」
ともう一度、獄寺は浴衣の袖を広げてみせる。
「こういうの、女っぽいわけじゃねえのか」
気にしていたのはそういうことだったのか、と思わず山本は表情を崩した。こんなに派手な男物の浴衣を、確かに獄寺は見たことが無いのかもしれない。
「っぽくねえよ。白波五人男みてえだぜ」
「なんだそりゃ」
「歌舞伎だよ」
自分で言い出しはしたものの、山本が浮かべた連想はあまり適当とは思えなかったから、知らないでいてくれて助かった、と思う。
──って言うか、さすがに弁天小僧は怒られるよな。
女装の大悪党、とは口が裂けても言えない。
「ジャパーニーズ・オペラかよ」
「まあ、そんなとこだな」
獄寺のものの例え方は、時としてものごとを余計にややこしくしている気がするのだが、山本はそこは曖昧に頷いておくことにしている。
「出かけようぜ」
鏡を覗き込んだまま動かない獄寺に、山本は金魚の柄の団扇を手渡した。
「金魚すくい、今年は負けねえよ」
「へっ、返り討ちにしてやるぜ」
口が悪い所も、めっぽう強気になところも、やっぱり獄寺は弁天小僧みたいだった。
──そういや俺、あれ好きだったんだよなあ
きれいなお姉さんがタンカを切ると実は男で、そこからべらんめえの口上が始まる。父親が見ていた歌舞伎の中継の、そんな弁天小僧の見せ場が大好きだった。子供心に見惚れていた。
思えばあのころから、山本の嗜好は変わっていないのかもしれない。
「なに笑ってやがんだよ。キモチ悪い」
「なんもねえよ」
──だったら俺、すげえラッキーなんじゃね
そんな風には思ったことがなかったけれど、理想のひとと、もう6年、一緒にいる。
──いっしょに、はたちになって
背も伸びて、鏡の中、随分肩幅もしっかりとしたけれど、
──去年より、出会った頃より、もっとずっと
「獄寺」
「なんだよ」
「誕生日、おめでと」
山本が頬にふれても、獄寺は何も言わなかった。
「今朝も、聞いたぜ」
「何度言っても、いいもんじゃねえかと思って」
声も立てずに獄寺が笑う。唇の端を少しだけ上げる、山本が好きな笑顔だった。
「獄寺、」
顔を寄せようとした瞬間、けれど、階下から大きな声がかかった。
「武ぃ、獄寺君、支度できたかい」
あんまり明るい父親の声に、山本は肩を落とした。獄寺が声を上げて笑いだす。
「悪いことはできねえなあ」
「別に、悪いことじゃねえだろ」
獄寺はちょっと目もとを染め、それから片方の眉を引き上げた。
「バァカ」
──ああ、やっぱり
そういう表情が、口上を唄う弁天小僧のようだった。
──去年より、出会った頃より、ずっと
こっそりと肩を抱くと、獄寺は目を細めた。店に降りるまでだからな、と釘をさされた。
「わあったよ」
口にしそびれた言葉はいつか、言い出すことができるだろうか。山本は考える。
──去年より、出会った頃よりずっと、
「なんだよ」
「なんもねえよ」
──好きだぜ
そうしてたぶん来年も、その次の年も、同じことを思うのだ、と。
END.