いつか、
二人で真冬にサーカスを見たな、なんて。
笑い話にできたらいい、
そう思っていた。
角を曲がると、山本は手をつなぎたがった。
手袋をしていない獄寺の手を捕まえて、自分のポケットに引き込んでしまう。
「獄寺、いっつも手ぇ冷てえのな」
「てめえの体温が高すぎなんだよ」
煙草を吸っているからだろう、という聞き慣れたセリフを、山本は口にしなかった。いつのまに山本はそれを言わなくなったのか。獄寺は考えたけれど、思い出せなかった。
「角曲がったら、放せよ」
「オッケ」
辺りはもう、人通りも無い時間だった。獄寺は手を引かれるまま、山本と肩を並べる。通りの向こうに、クリスマスの明かりが見えていた。
この国の夜はそんなに暗くはないのに、明かりを飾る家がある。獄寺がそんなことに気がついたのは、ようやく最近になってからのことだ。
──去年も、この国にはいたってのによ
今年初めて気がつくことが多いのは、山本が獄寺を連れ出すせいかもしれない。
期末テストが始まるとか、終わるとか、クリスマスだからとか、イブだからとか、山本は獄寺を連れ回す。
そうして、
「なあ、友達だって、手はつながねえか」
獄寺が思いもしないことを言い出したりするのだ。
「中学男子がかよ」
「つなぐかもしれなくねえ」
論外だろうと思ったのに、山本はまじめな顔をしていた。
「俺とオマエで?」
少しの間黙りこみ、それから山本は大笑いをする。
「ガラじゃねえってことか」
「ガラじゃねえし趣味じゃねえ」
触れあった肩から笑い声が響いて、山本の声がすぐ近くで聞こえる。ポケットに入れた手だけではなく、触れあっているから、手をつないだ側の全てが温かいのだ、と獄寺はそんなことを考えた。
──だけど、
「だったら、よけいセーフじゃね」
「男同士で、気持ち悪りいだけだつーの、」
──男同士、だから
本当は山本の言う通り、手をつないでもきっと誰にも咎められることはない。毎日のように一緒にいても、その時間がどんなに増えても、噂になることだってなかった。
だから、それはいつでも無かったことにできる。そう言う関係だと獄寺は思っていた。
──友達じゃねえから、よけい
ある日どちらかがか、どちらかの目の前から消えれば、誰にも知られずに終わるだろう。
それはきっと、そんなに遠い日の話ではないはずだ。
「なあ、」
ポケットの中の手はつないだまま、それでも山本が立ち止まると、離れた身体の間に風が入る。
──風なんて、
今夜は吹いてはいなかった。そんなことも、わかってはいたのだけれど。
「ここ、教会かな」
「こんなとこにかよ」
山本の手に引かれるように、獄寺は足を止めた。
見上げるほどの木々の向こうに、明かりの漏れる家があった。星のようにたくさんの小さな明かりが、庭の木のすべてに吊るされている。
「戸、開いてるぜ」
半分だけ開いたままの家の扉には、ミサのポスターが貼られていた。クリスマスの夜にはミサがある、獄寺はそんなことを思い出した。
何かの魔法か、お伽話のようだったけれど、やっぱりここは教会なのかもしれなかった。
──こんなとこに
「英語が書いてある」
山本が指を指したポスターには、踊るような筆記体の文字が、神の祝福を唱っていた。
「クリスマス、ゴスペルミサ」
抑揚も無く読み上げると、山本は獄寺を見る。
「歌って踊って祈んだよ」
「こんな時間に」
「むこうじゃ普通の時間だぜ」
クリスマスのミサは真夜中にかかる頃、そう言うと山本は感心したような顔をしていた。
「じゃ、本格的なんだな」
本当は、獄寺の知っているミサと言えば、歌って踊るミサからはほど遠い。けれど獄寺はそれを口には出さなかった。どこか幸福な気がするその誤解を、解かずにおこうと思っていた。
「獄寺も、真夜中に祈ったのか」
「ガキのころはな」
「ガラじゃなくねえ」
つないだままの腕で肘を入れると、山本は笑いながら身を捩る。
「仕方ねえだろ、そう言うもんなんだから」
「おもしれーな、獄寺んちのクリスマス」
「馬鹿言ってんじゃねえ」
──こんな時に、
と獄寺は思う。
山本はつれて行ってくれとは言わなくなった。
獄寺が故郷の話をする度に、いつも山本は行ってみたいと言っていた。つれて行ってくれ、行ってみたい、それもまた、山本が口にしなくなったセリフの一つだった。
たかが、言葉ひとつ、それでも、
──口癖みてえに言ってたクセに
言わなくなったということには、きっと理由があるのだろう。獄寺はそんな風に考えていた。
「きれいだな」
今さらのように、山本は光の灯る木々を見上げる。
「ああ」
「お祈り、してくか」
「しねえよ」
山本は獄寺に笑いかける。獄寺が何を考えていたのか、わかっているような笑い方だった。
ポケットの中の手が解かれ、山本は両手で獄寺を抱き寄せた。
開いたままの扉から、低い音が流れてくる。オルガンか人の歌声か、ハミングなのかもしれなかった。
「獄寺、イタリアに帰りてえか」
帰りたくは、ない。
けれどそれをどう言えばいいのか、獄寺にはわからなかった。言葉にするのは簡単で、だからそれはとても難しい気がする。
「帰りてえとか、そう言うんじゃねぇ」
「うん」
「いつか10代目をお連れしなきゃならねえ、」
「ん」
──天の下、
すべてのものには時がある。
「そう言うことだ」
それは祈りの言葉だったろうか。人はみんな平等だで、だからこそ、望みのすべてが叶うことはない。そんな話をいつか聞いた気がした。
「獄寺」
「なんだよ」
あとどのくらい、こんな時間を過ごせるだろう、獄寺はそんなことを考えていた。
教会の庭は、静かな光に満たされている。
きれいな明かりならたくさん見た。
──だけど、
こんなに静かな明かりを見たのは、初めてのことだった。
「サーカスかな」
山本が言ったのは、教会の庭、一列に並んだ動物たちのことだろう。光でできた動物たちが、同じ方向を向いている。
ゾウやキリンやシマウマたち、ノアの方舟かと思ったのだけれど、パレードを見ているようだった。
「変わってんな」
「ああ」
本当に、サーカスみたいだった。
「獄寺」
静かな声が、もう一度獄寺の名前を呼ぶ。
返事をするのが恐ろしくて、獄寺は山本の腕を掴む。腕を解かせようとしたつもりだったのに、山本は獄寺を放さなかった。
「なあ、聞いて」
いつの間にか山本の腕で抱えられ、身動きもできなかった。そのことに獄寺は今初めて気がついた。気がつかなかったのは上着ごと抱きしめられていたせいだったのだろうか、本当のことは、獄寺自身にもわからなかった。
強い力で抱きしめられていたのに、苦しいとは一度も思わなかった。
「俺、イタリアに行くよ」
山本は今度も、つれて行ってくれとは言わなかった。
「つれてくなんて、言ってねえだろ」
「うん」
どうしてか、山本は笑ったようだった。獄寺の肩の上で、山本が笑う気配がする。
「許可なんて、してねえからな」
「いいよ」
身じろごうとして動けずに、獄寺は肘を入れようとした。結局それも叶わずに、山本の腕に押さえ込まれる。
「放せ」
「やだよ」
舌打ちをしてやったのに、山本は笑ったままだった。
「放したら、獄寺、逃げるじゃねえか」
「逃げるか、ばーか」
逃げたことなどないだろうに、山本は本気で思っているようだった。無意識のようにまた腕を狭められ、獄寺は息をつく。放したくはない、と言われているみたいだった。
「俺の許可は、いらねえってことかよ」
「そうじゃねえって」
「じゃ、なんだよ」
「許可はこれから貰うのな」
馬鹿だろう、と言おうとしたのだけれど、うまく声が出なかった。低く聞こえるミサの声に、獄寺は耳をそばだてる。
「許可なんてしねえ」
「一生かかっても、貰うぜ」
「なんだよ、それ」
「許してくれなくてもついてくし、許してくれるまで、何度でもお願いするってこと」
「山本、」
今度こそ、獄寺は身じろぎをした。
「ん」
「腕、緩めろ」
山本は答えを返さなかった。少しの間、黙って獄寺を抱いていた。
「獄寺、逃げねえか」
ミサの祈りだったのか、低い歌声だったのか。聞こえていた声も、もう聞こえてはこなかった。
「逃げねえ」
腕の輪が緩められ、獄寺が振り向くと、また狭められてしまう。
あんなに強気でついて行くと言ったくせに、山本の表情は途方に暮れたようだった。
「ばっかじゃねえの」
「馬鹿は治らねえ病気なんだってさ」
山本は笑う。なぜか嬉しそうな笑顔だった。
「ホント、ばかだな。てめえは」
──一生、なんて
「一生、許さねえからな」
「一生、言うから、いいぜ」
そんなとほうもない言葉を口にできるのは、山本が本当はその長さをわかってはいないからだ。獄寺は思う。
けれど一生なんて、本当は獄寺にだって、どれほどの時間かはわからないのかもしれなかった。
「獄寺」
「なんだよ」
近くにある山本の目には、庭の明かりが映っている。サーカスの動物たちの、たくさんの光だった。
「心配かけて、ごめんな」
獄寺が何を思い、何を願っていたのか、山本がわかっていたとは思えなかったけれど、
「心配なんて、してねえ」
「だな」
──神様、
獄寺は心に呟いた。
──だって、今日はクリスマスだから
こんな、向こう見ずな願いさえ、叶うのかもしれないのなら、
──俺が、願ったっていいんだろう
獄寺が黙り込むと、山本は笑った。やっぱりなにもかも、わかっていたみたいな笑い方だった。
抱きしめられると、獄寺の踵は宙に浮く。
──ムカツク野郎だ
獄寺は思う。
──だけど、
だけど神様どうか、
獄寺はもう一度、声には出さずに呟いた。
──この馬鹿の病気が、一生、治らねえように、
と。
END.
HAPPY CHRISTMAS!!