山本は本当に他愛のないことで電話をしてくる。
獄寺は思う。
合宿所の裏には川があるとか、その川で蛍を見たとか、そう言うことだ。
そんな電話はいつも、日が落ちてしまった後に架かってきた。だから、空が明るいこんな時間に、山本からの着信があるのは珍しい。獄寺は通話ボタン押すと、しばらくの間黙っていた。
「獄寺?」
と言う声は、いつもの山本のものだった。
「なんだよ、こんな時間に」
何かあったのだろうか、と思ったのだけれど、山本は別の意味にとったらしい。
「もしかして、寝てたか」
「寝てねえ、」
山本は笑った。
「なら、良かった」
「良くねえよ、つか、どっからだよ」
山本の後ろには、随分大勢のざわめきが聞こえる。
「合宿所」
「切るぞ、」
ひとけのあるところでは、電話をしてくるな、獄寺は以前からそう言ってあった。それなのに、山本はいつもそれを忘れてしまう。本当に切ろうとすると、慌てたような声が追いかけてきた。
「待てって、今移動中なんだよ」
「なんだ、そりゃぁ」
山本の言うことは普段からよくわからない。けれど、電話だと余計にわからなかった。顔も見えないし、今は状況もわからない。こんな時、山本と話すのはまるで動物と話すようだ。
「だからさ、人がいねえとこに移動中」
「わかってんじゃねえか」
「獄寺、何してた?」
山本の言うことは、脈絡もあまりなかった。
「オマエは?」
おまけに今日の山本は、獄寺の最初の質問にも答えていない。まだ人の気配もある夕方の合宿所から、電話をかけてくる理由はなんなのだ、と。
「今日はなんでこんな時間なんだよ」
「あー、それな」
時々、と、獄寺は思う。時々考えることだけれど、山本と自分とは、要するに性格が合っていないのだ。獄寺はたぶん人よりも結論を急ぐタチで、山本は鷹揚で脈絡が無い。どうして会話が続くのか、獄寺には不思議なくらいだった。
──会話だけじゃ、ねえけど
どうして、こんな関係が続くのだろう。
「今日、最終日だからさ、練習はもう終わりなのな」
獄寺は気の無い返事を返す。煙草が吸いたくなったから、ライターを持ってベランダに出た。夏の名残のベランダにはまだ、昼の熱気が残っていた。合宿の場所は暑かったのだろうか。獄寺は、そんなことを考えていた。
「あした、帰るからな」
本題はこれだったのかもしれない。返事を待つというのでもなく、山本は言葉を途切らせた。
「今日はもう、なんもねえのかよ」
呑気なことだ、と、獄寺はそんな風にも思ったけれど、
「キャンプファイヤー、つってたかな」
案外、合宿とかいうのも忙しいらしい。
煙草の煙が立ち上がり、何にも無い空へ消えて行く。呑気なのはこちらのほうか、と獄寺は少し笑いを漏らす。
「獄寺、今、空、見られるか」
「は?」
唐突なもの言いに、獄寺はおかしな声を出してしまった。黙り込むと、山本は言葉を探し、繰り返した。
「空が見られるとこに出られるか、ってことな、」
それならば、出るまでもなくベランダにいる。獄寺が言うと、山本は電話の向うで笑ったようだった。嬉しそうな声だった。
「そっちも、晴れてっか、」
「晴れてるぜ」
「夕焼け、見えてねえ?」
「見えてるな」
山本は何が言いたいのだろう。獄寺は空を見上げる。夕方の空はもう、夕焼けと言うよりも黄昏に近い。その違いを山本に説明することは、獄寺にはとても難しい気がする。獄寺は笑った。声には出さず。けれど山本には、獄寺が笑ったのがわかったのかもしれない。
「夕焼け、終わってるぜ」
「でもまだ明るいだろ」
山本の言う通り、空はまだ明るかった。
「獄寺、いつかさ、赤と青は交われねえ色だっつたの、覚えてるか」
山本の言葉はやっぱり脈絡がないようだった。けれど、そんなことを、獄寺も言ったような気がする。
「随分前の話だろ」
「そんな前でもなくね」
獄寺が忘れているような他愛のないことを、山本は本当によく覚えている。
「前だろうがよ、何年前だよ」
山本は笑う、笑い声がした。
「俺らまだ1年もつきあってねえだろ」
「バァカ」
舌打ちをしようとし、けれど獄寺も笑ってしまった。
──そう言うことを口に出すから、
人前で電話をさせられないのだ。
まだ1年、なんて、いったいいつから山本の時計はもう、になるのだろう。獄寺はふと、そんなことを考える。もう1年か、それとも、まだ1年なのか。山本はもしかしたら、獄寺よりもずっと長い時間を生きるのかもしれない。長い寿命を生きる生き物は、寿命の短い生き物よりも、心臓の鼓動が遅いのだと言う。
もしも自分が、先に死ぬことがあったら、獄寺は思う。
別な誰かが、山本のこんな話を聞いてやるのだろうか。
──こんな、他愛のない話を、
「なあ、獄寺」
──誰かが、
「なんだよ」
少し、返事の遅れた獄寺を、山本は待っていたみたいだった。
「今の空、赤と青が交じってるみてえに見えねえか」
馬鹿なことを、と思ったのだけれど、見上げれば確かに空の上で、赤と青が交わっていた。
夕日の赤と空の青。決して混じり合うことのない色が、それでも、別けることもできないほどに近づいている。
互いに互いを映さぬ色が、きれいに重なり合っていた。
──オマエの炎と、俺の色と
同じ色だ、と獄寺は思う。
「きれいだろ」
携帯から、山本の声が聞こえた。見せたかったんだ、と山本は続けた。
「そうだな」
山本の声の向うで、誰かかが山本を呼んでいる、そんな声も聞こえていた。
「獄寺、悪りぃ」
「わかってる」
合宿所で空を見上げながら、山本はいつもこんなことを考えていたのだろうか。
──野球、やってろよ。野球バカのくせに
「あした、帰るからな」
「ああ」
通話が切れる一瞬前、獄寺は何かを言おうとした。けれど、
「じゃあな」
山本の声に消されてしまった。
──あのバカ、
自分は何を言おうと思ったのだろう。それはもう、獄寺にもわからなかった。
──オマエ絶対ぇワザとだろ
獄寺は空を見上げる。
こんなものを見せやがって、と声には出さずに毒づいた。
燃えるようだった空の色はゆっくりと、けれど見る間に青に紛れて行く。さっき見た空の色が、嘘だったみたいに思えてくる。
──それでも、
獄寺は笑った。
世界が眠る、少し前、赤と青はあんなにも近い。
たとえばそれは、ほんのひととき。脈打つ鼓動の早ささえ、どれほど違っていたとしても。
だから、
獄寺は息をつく。
キャンプファイヤーなんてどうでもいい。
──オマエも、とっとと帰ってきやがれ、
そんなことを、考えていた。
END