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山本は、ショットグラスに酒を注ぐ。溢れない程度になみなみと、それから、
──今日はこれだけ、
声には出さず、呪文のように呟いた。
今日は獄寺がいないから、止めてくれる相手がいない。飲み過ぎだ、といういつもの台詞は聞けないのだ。
山本は笑った。1人で笑う山本のクセを、気持ち悪りいな、と咎める声も、今日は聞こえてはこなかった。ボリュームを落としたラジオの音だけが、クリスマスの町の様子を伝えている。
──業務は平常通り
ふと山本はラジオの言葉を繰り返してみる。
──俺は、獄寺のことばっかりだ
今日の獄寺は、綱吉の護衛についていた。小さな交渉をひとつ、蹴散らしに行っていた。話し合いが上手く行けば、荒事にはならねえから、と獄寺は言った。けれど、上手く行く予定ではないのだろう。そうい言う言い方だった。
──『ついてった方がいいか』
山本の言葉に、
──『俺1人で十分だ』
獄寺はそれだけを答えた。
守護者が二人も出向くまでのことじゃない。そういう意味で言ったのだろうけれど、上着を着せてやっている間、獄寺は山本の顔を一度も見なかった。
──任務は平常通り
山本は、息をつく。
──ツナといるから、大丈夫
そう、だから、心配をしているのではない、と思う。ただいつからか、上手くは行かない交渉に出向く時の獄寺の表情が、山本にはわかるようになってしまった。
──『俺1人で十分だ』
それだけの言葉の意味も、本当はわかっているような気がする。
──変わんねえのな、そーいうの
わずかに、山本は口の端でだけ笑った。笑おうとして、失敗した時の笑い方だと、自分ではそんなことには気がつかなかった。微かに流れるラジオの音は、いつの間にか聞き慣れない歌に変わっている。
アイ・ミス・ユー、と、誰かが繰り返し歌っている、山本の知らない歌だった。
アイ・ミス・ユー。山本は声には出さずに真似をしてみる。英語は今でも苦手だけれど、アイ・ミス・ユーくらいはわかっていた。
──オマエがいなくて、寂しい
そう言う意味だ。
今度こそ、山本は小さな笑い声をたてた。笑いながら、ラジオを消した。
アイ・ミス・ユー、
──オマエがいなくて、寂しい
獄寺は良く、山本のことを、甘ったれの寂しがりやだと言う。
グラスに口をつけると、冷たい酒は甘く、熱い。獄寺が選ぶ酒はいつもどこか華やかな味がする。山本は、思う。甘ったれ、と言われれば否定はしないけれど、寂しがりやだというのはわからねえよ、と。
──ガキの頃から、
1人でいるのは慣れっこで、どこへ行くにも、何をするのも、結局は1人が多かった。
けれど、今の気持ちを寂しいと言うのなら、山本は確かに寂しがりやなのかもしれない。
──獄寺が出かけていねえたび、
山本は天井を見上げる。
──こんな気持ちになるもんなあ
傍にいるはずの誰かがいない。そんな気持ちを寂しい、というのなら、
──おいてかねえで、なんて
さすがにそれは口に出しては言えないから。
見上げたままの天井に、クリスマスツリーの銀の星が見えた。獄寺と二人、この前の休日に飾り付けた星だった。山本が選ぶツリーはいつも、獄寺に言わせれば大きすぎる、と言うことらしい。けれど、そんな文句を言いながら、獄寺は去年は飾りを買って来てくれた。
──今年は、一緒に飾り付けてくれた。
口の中に残る酒を飲み干しながら、山本はまた、笑った。やっぱり自分は獄寺のことばっかりだ、そう思う。
ワインを作った残りかすから造る酒だ、そう獄寺が教えてくれたこの酒は、本当はとても強いのだ、そんなことも思い出していた。
山本はグラスを干した。
できれば今日はこのまま、ベッドに倒れ込んで眠りたい。
──アイ・ミス・ユー、
耳には心地の良いその曲が、もう聞こえては来ないように。
空になったグラスに、山本はボトルを傾けた。
それから、
──あと、半分だけ
半分よりも少し多く、金色の液体を注ぎ足した。
**
温かい雪が降っている。そんな気がして、山本は目を醒ました。
温かい、と思ったのはたぶん体温だった。いつのまに戻って来たのだろう、
「獄寺?」
答えは無く、けれど獄寺が笑った気配だけが返って来る。
「俺以外の、誰なんだよ」
獄寺の気配が山本の胸の上に起き上がった。手を伸ばすと、獄寺の髪に触れる。洗ったばかりなのかもしれない、獄寺の髪は山本の指の間を滑り落ちて行く。
「意地悪、言うなよ」
「言ってねえ」
今度の答えはすぐに返ってきた。不用心だと言ういつものセリフも、そう言えば獄寺は口にしていない。意地悪ではないのかもしれない、と山本は思う。自分の唇の上に、獄寺の吐息を感じる。少し強引な口づけだった。
「飲んでたのかよ」
と言う獄寺の口ぶりは、山本を非難しているみたいだったけれど、どこか笑っているような響きがあった。
「俺が、仕事してんのに」
「悪りい」
獄寺がまた笑った気配がする。
「誰と?」
「え?」
「誰と飲んでたって?」
今度は山本が笑ってしまった。
──そんなわけ、ねえじゃねえか
けれど、
「ひとりだよ」
本当はこれを言わせたかったのだろう。そんなことももう、わかっていた。片付けも明日にしようと、出したままにしてあるグラスはひとつ。獄寺ならばわかるはずなのに。
「寂しいヤツ」
胸の上で聞こえた声は、とても楽しそうだった。
──そうだよな
知らなかったんだ、と山本は思う。
──俺は、こんなに寂しがりなんだ
薄く開いた山本の目には、獄寺の姿が映っていた。
「おかえり、」
手を伸ばそうとしたけれど、アルコールを飲んで眠った身体は、言うことをきいてはくれなかった。溜め息をつくと、獄寺は腕の中に滑り込んで来る。まるで、山本がどうしたいのかがわかっているみたいだった。
「雪、降ってるぜ」
「ああ、」
それ以上の言葉は出て来なかった。降っているのは知っていた。ただ、夢なのかと思っていた。それをどう言ったらいいのかは、山本にはわからなかった。
「オマエが降らせたんじゃねえの」
「まさか」
山本が降らせることができるのは雨だけだ、そう言うと、獄寺はまた笑った。
「ばかだろ、オマエ」
これも、夢だろうか。雪明かりが差し込むと、獄寺の傍で銀の光が揺れる。
「雨は寒いから、雪になるんだろ」
「そっか」
獄寺は小さな笑い声をたてる。山本も笑おうとしたけれど、動くこともできなかった。止め処も無い雪のように、獄寺の髪は山本の指の間をすり抜ける。すり抜けると、そのまま、山本の首筋に滑り落ちて来る。
やっぱり、夢のようだった。
──くすぐってえ
身じろぎをしようとしたけれど、手も足もでなかった。
「飲み過ぎなんだよ」
獄寺は楽しそうに笑う。山本の胸の上、洗った髪で首筋を掃いているのは、きっとわざと違いない。
「サッシカイアは強ええ酒だって、言ったろ」
「ああ」
──覚えてるよ
ブルーのラベルに刻まれたサッシカイアの銀の星。山本は見るたびに獄寺のことを思い出す。だから、忘れるはずはなかったのだ。華やかな甘い口当たりと、それなのに足下をすくうほどに強い、そんな酒だと言うことを。
ようやくのように、力の戻った腕で抱きしめると、獄寺は山本を見た。
山本のくせに生意気だ、とそういうセリフを言う時の顔をしていた。
それでも、
「なあそれで、これ、なんのサービスなんだ」
獄寺はまた、小さな声で笑った。山本の上に身を起こした。口づけは、微かにアルコールを含んでいる。山本の吐息が移ったのか、それはわからなかった。
「俺だって、たまには誰かのバッポ・ナターレになっても悪かあねえだろ」
「サンタクロース?」
「そう」
言い直すなよ、バカ、と囁かれ、山本は目を閉じた。
交渉が上手くいったのか、誰も血を流さずに済んだのか。聞いてみたかったけれど、獄寺が降らせる雪のような口づけに、言葉は浮かばなくなってしまった。山本の恋人は雪を降らせる時にもブリザードなのかもしれない。
「雪、降らせてみようか」
──俺も、明日、
そんなセリフには、
「明日、オマエが使い物になるらな」
憎まれ口が返って来る。山本は笑った。笑いながら腕を伸ばし、やっぱり身体が動かないことに気づかされた。
──明日、
雪を降らせてみよう。それから、サンタクロースのプレゼントは貰いなおしができねえのか、かけあってみよう。山本はそんなことを考えた。
そう、できればもっと、ちゃんと意識がある時に。
「Buon Natale」
獄寺の声が囁いた。
恋人の声だった。
END