疲れた身体を投げ出すと、山本の指が落ちて来る。洗ったままの獄寺の髪を、山本はゆっくりと撫でている。
「髪、拭こうか」
獄寺は頷いた。断らないことはわかっていたのだろう。乾いたタオルがどこからともなく、獄寺の上に被せられた。
用意がいいことだ、と獄寺は思う。乾いたタオルも、わずかに汗をかいている水のグラスも、獄寺がシャワーを浴びている間に、当たり前のように用意されている。
ついでに、眠くなるような温度の部屋も、洗ったばかりのベッドリネンも、みな山本が整えたものだった。愛用の道具をの手入れをする同じ慎重さで、山本は獄寺を扱っている。
──『大事にすっからな』
頼んだわけでもなかった約束を、獄寺は思い出していた。あの約束を、山本はまだ憶えているのかもしれない。
獄寺があくびをすると、山本の手が動きを止めた。離れて行ったタオルの先を、獄寺は追うともなく目で追った。山本の目と目があった。
「んだよ」
山本は唇でだけ、笑う。
「珍しいものがついてたぜ」
山本が手にしているタオルには、小さな花びらがついていた。薄い、淡い色をしている。それが何の花びらなのか、獄寺にはすぐにはわからなかった。
「桜、か」
「そうみてえ」
思わず、獄寺は自分の髪に触れてみる。触れてしまってから、そうではないだろう、と思い至った。シャワーを浴びた後だから、獄寺の髪についていたはずはなかった。
「タオルについてたのか」
「どっから飛んで来たんだろうな」
この辺りに、桜の木があると言う話は聞いたことがなかった。
「日本の桜みてえだな」
「ソメイヨシノ?」
「ああ、それ」
自分でも、よくそんな名を憶えていたものだ、と獄寺はそんなことを考える。
──10代目も、お好きだから
日本にいた頃は、よくみんなで花見をした。日本人はどういうわけか、誰もがこの花が好きだった。だからかもしれなかった。
「今年も、花見はできなかったな」
同じことを思ったのだろう。山本が独り言のように呟いた。
「そうだな」
この国にいる限り、桜の花はよほど決意をしないと見ることができない。日本のように、どこにでもある花でもない。本当はこんな風に、風に舞ってきた花びらを見つけることも、奇跡みたいなことなのかもしれない。
それとも、良く似ていると言うだけで、これはまた別の花なのだろうか。
獄寺には、そんなことはどうでもいいような気がした。
「いつかまた、いっしょに見に行こうな」
「ああ」
獄寺は、笑った。
「笑うなよ」
山本の言葉に、獄寺は寝返りをうつ。
「てめえが、この時期になるといっつも同じことを言うからだ」
「いいじゃねえか」
「悪りいとは、言ってねえだろ」
この時期、桜も終わりのこんな頃になると、山本は大抵同じことを言う。けれど、また、と言うのがどう言う意味なのか、獄寺にはよくわかっていなかった。山本の言葉通り、いつだったか、二人で桜を見たことがあっただろうか。
「ありがとな」
あったとしても、それがいったいいつのことだったのか、獄寺には思い出せない。
「どういたしまして」
もしかしたら山本の勘違いか、それとも二人とも何かの暗示にかかっているのか、そんな気さえしてくるようだった。
──だけど、
水気の残った獄寺の髪を、山本は大切そうに撫でている。
たとえば、それがありはしなかった思い出でも、獄寺にはどちらでもいいような気がする。目を閉じると、幻の桜の木はゆっくりと、花びらを散らせていた。
「約束、だぜ」
「ああ」
約束が果たされないままでいても、桜はずっとそこに咲いているのだろうか。山本はいつまでも、同じ約束をねだるのだろうか。獄寺は考える。おかしなことを考えている、と思った。
けれど、
──来年も、その次の年もずっと、
山本はきっと同じ約束を欲しがるだろう。
幻の桜の散り敷く下には、きり果てもない約束がよく似合う。
──『ずっと、大事にすっからな』
もう一度、獄寺は笑う。
「機嫌、いいのな」
時計を見ると、思っていたとおり、ちょうど日付も変わったところだった。髪を撫でている山本の指に、獄寺は指を絡める。山本は不思議そうな顔をした。
獄寺は、山本を見上げた。
「オマエの、誕生日だからな」





end