古い新聞記事を検索していたら、見覚えのある名前をみつけた。
それが誰なのかがわかったとき、山本の心臓は痛むように脈打った。ちょうど10年には少し足りない昔に、彼女の血を引く人間に、初めて出会った時と同じ痛みだった。
新聞記事には、顔写真がない。映っているのは横顔と、彼女には大きすぎるように思えるグランドピアノ。
随分と、若い頃の写真なのだ、と山本は思う。
ポートレートを求めてデータベースを検索したのはほんの出来心だったけれど、はっきりと写っていそうな写真をリストアップした時点で、山本は一瞬、手を止めた。
それは単なる写真にすぎない。簡単に閲覧できるような、新聞、雑誌の記録のよせ集めだった。あらかじめ公開された写真と個人が持つ写真では、初めからその意味が違っている。
──だけど、
山本は思う。
獄寺には黙って、そのひとの姿を見ることは、何となく憚られるような気がした。
──ああ、でも
本当に有名なひとだったのだ、と思う。それは別の感慨だった。
彼女の名前で引いた過去の記録からは、ある一時期、その若いピアニストが世間を席巻した様子がよくわかる。
絶賛された演奏と、若く華やかな美貌。
はっきりとはしない画像からも、とても美しいひとだったのだと言うことは見て取れた。
──って言うか
うっかりと、開いてしまった記事の横には、今度こそ、そのひとの笑い顔が写っていた。
インタビューの記事に添えられた物だったのだろう。写真は、いままでのどの画像よりも鮮明だ。
──獄寺に、似てる
写真の中の女性は明るく笑っていた。山本が知る、獄寺隼人と言う人間はこれほど屈託はなくは笑わない。
──でも、
こんな風に笑うこともたまにはある、と言った方がいいのかもしれない。
獄寺と山本、その現在の主である沢田綱吉には昔から。そうして、よっぽど機嫌がいい時には山本に対しても。獄寺が見せる笑顔は、写真のなかのそのひとにとても良く似ていた。
山本は少し笑った。
──やっぱ血が、つながってんのな
隣の部屋、別な仕事をすると言って籠ったきりの獄寺に、会いたくてたまらなくなる。
──だけど、
仕事中、特にこんな風に家にまで持ち帰って何かをしている時には、話しかけたところで獄寺は相手もしてはくれないだろう。
相手はしてくれない代わりに怒られることもないから、横顔を見ているくらいなら許されるだろうか。
──でも、俺が我慢できねーしなあ
モニター画面にうつる顔に、山本はもう一度目を向けた。髪の色と、顔立ちもとても獄寺に似ている。笑い顔の印象だけが少し違っていた。
どういう訳かはわからなかったけれど、
──お姫様みてえなひと、だよな
獄寺にも時々感じることだったけれど、きっと育ちが良いのだろう、写真の中で笑うそのひとにはそんな風に思わせるようなところがある。
本当のところ、本当に獄寺の母親の生家は大きな家だったらしい。検索された記事を拾い読みすると、お姫様という言い方が間違いではないかのようだった。半分だけ、どうして日本人の血が混じったのか、そのことの方が不思議なくらいだ。
──世が世なら、って言うのか、
こんな死に方をするはずのひとではなかったのかもしれない。
山本は立ち上がった。
リビングへ続くドアをノックする。答えは返って来なかった。
「あけるぜ」
いつものように、机で眠ってしまったのかもしれない、そんな風にも思ったのだけれど、
「獄寺?」
書類を広げていたはずの机の前に、獄寺の姿はなかった。
「獄寺?」
山本はもう一度呼んでみる。明かりの落ちた部屋の中を見回した。
「ここだ」
ソファの上から、獄寺の声が返った。明かりを絞ったフロアライトの下、獄寺はソファに身体を投げ出していた。疲れた、と言っているような姿だった。
「終わったか?」
頬に触れると、獄寺は顔の上に載せていた肘を上げる。眩しそうに目を細める。
「終わった、つか片付けねえと」
獄寺が言っているのはリビングの机の上のことだろう。煙草と灰皿と書類の山と、つけたままのノートPCが広げられている。
「やっとこうか?」
獄寺はなにか、曖昧な返事をした。さわるな、と言ったのかもしれなかった。
山本は、笑う。
「なあ、獄寺」
獄寺は瞬きをする。眠たそうな瞼の上に、山本は額をよせた。
「抱っこさせてよ」
一瞬の間を開けて、けれど、獄寺はすぐに眉を顰めた。
「断る」
「いいじゃねえか」
背中と、膝の裏に、山本が腕を差し入れると獄寺は少しだけもがいた。少しで済んでいるのは、獄寺がとても疲れているからだろうか。
それとも、本当の本気では、抵抗するつもりなどないからだろうか。
「嫌だ」
「だあめ」
わざと、獄寺が嫌がるようなことを言ってみるのは、その様子があんまり可愛いからだ。山本は笑う。それは言わないつもりの言い訳だった。
抱き上げてしまうと、獄寺は不平そうな顔のまま大人しくなった。罵倒の言葉の追い打ちがないのは、やっぱり疲れているからなのかもしれない。
「ごめんな」
──だけど、
山本は思う。
──お姫様とか、ピアニストとか
獄寺がそんな人目にたつ仕事をしていなくて良かった。
仏頂面で山本を見上げる、子供のような獄寺の顔は、きっと山本しか知らない。
「おろせよ」
「ベッドに着いたらな」
本当は他のどんな表情も、誰にも見せたくはないのだと、それはもまた、言わない予定の言葉なのだけれど、
「ムカツク」
「何が?」
「全部だ、バーカ」
山本は笑った。
「いいぜ」
逃げられないように、山本は獄寺を抱きなおす。
「獄寺は俺のお姫様だからな」
今度こそ、獄寺は本気で暴れようとした。山本を蹴ろうとしたのかもしれなかった。
「バタバタすっと、危ねえぜ」
「うるせえ、バァカ」
獄寺は口を尖らせる。やっぱり、子供みたいだった。それからふと、口の端でだけ笑った。山本を困らせる為の何かを思いついた時の、獄寺の笑い方だった。
「イタリア語で言ってみろよ」
お姫様、なんて言葉を使うとは思わなかったから、覚えている気がしない。山本は息をつく。
「いじわるだな」
「知るかよ」
獄寺は笑った。
「えーと、mia..?」
──つか、保険のオッサンが言ってた気がするぜ
「La mia principessa, signora?」
獄寺は驚いたような顔をする。
「意味、わかってんのかよ」
「ああ」
──誰にも、渡さねえから
獄寺は眉をよせた。少し、困ったような表情だった。